馬を愛した王妃 バイエルンの薔薇シシィ
19世紀半ば、
オーストリア帝国の皇帝、ヨーゼフ1世の妃として
それは美しい女性が、白羽の矢に当たりました![]()
後に、バイエルンの薔薇と呼ばれるようになる
エリザベートという公爵家のお姫様です。
エリザベートはシシィという愛称で通っていました。
本当は、お姉さんが皇帝の妃として推されていたのですが
ヨーゼフ1世自ら、シシィを選んだのです。

シシィの肖像画は何点も残っているのですが、
どの肖像画を見ても、非常な美女に描かれています。
実際、容姿については非の打ちどころのない、
まさに薔薇のような王妃様だったようです。
実はこのシシィ、大変な馬好きだったのです![]()
もともと皇帝の妃などになる予定のなかったシシィは、
貴族の姉妹の中のみそっかすで、
お姫様というよりも、自然児でした。
シシィが好んだのは貴族の慣習であるダンスや音楽ではなく
水泳、木登り、そして乗馬だったのです。
ヨーゼフ1世とシシィが夏によく訪れたという別荘カイザーヴィラには、
シシィの「馬の部屋」があります。
そこには、馬の絵が何枚もかけられているのですよ。
シシィは本当に馬が好きだったんですね。
さて、王妃となったシシィですが、
その生活は寂しく、辛いことが多かったようです。
シシィにとって、王妃としての人生は窮屈だったんでしょうね。
子供が生まれると、姑との確執もさらに辛いものになってゆきます。
やがてシシィは欝のようになり、旅に明け暮れるようになってしまいます![]()
ところで、当時のヨーロッパでは、
イタリアが国の統一のために立ち上がろうとしており、
オーストリア帝国に反発していました。
ついにオーストリアは軍事介入を始めるのですが、
惨敗してしまいます。
帝国は危機に陥るのですが、ここでシシィが立ち上がったのです。
ラクセンブルク城に救護班を臨時で作り、自ら先頭に立って
兵士の看護に当たったといいます。
その後、シシィはハンガリーの重要人物たちと親交を深め、話し合い、
表立ってではありませんが、ハンガリー語を駆使して活躍します。
そのお陰で、オーストリア・ハンガリー二重帝国の体制ができ、
ヨーゼフ1世はオーストリア帝国の皇帝であると同時に
ハンガリーの王となったのでした。
王妃として立派な活躍を見せたシシィですが、
母親としては辛いことが多かったようです。
娘、息子を相次いで亡くし、悲しみに暮れました。
辛いことの多かったシシィの慰めは馬だったようで、
ハンガリーでは、よく馬に乗って楽しんでいたそうですよ。
それにしても、バイエルンの薔薇とまで言われた美しいシシィが騎乗し
馬を走らせる様子は、さぞかし優雅だったことでしょうね![]()